大判例

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東京高等裁判所 昭和46年(ネ)2901号 判決 1973年1月31日

控訴人 工藤政治 ほか一名

被控訴人 国

訴訟代理人 大内俊身 ほか三名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

〔中略〕

控訴代理人は次のように述べた。

「自衛隊陸上幕僚監部厚生課長鎌沢致良は自衛隊遺族会陸上部会誌(わかばと)昭和四一年度版に、国は現行の法律に基き、殉職した者に対しては、国家公務員災害補償法(以下補償法という)による補償、公務死による退職手当、共済組合法による遺族年金等を支給するが、それらの法律で定められた以外のことは国として何もできない旨の記事を書き、また、昭和四二年一〇月二七日山形県内陸上自衛隊神町駐屯地で殉職隊員の追悼式に引続いて開かれた懇親会の席上で、控訴人らが同席していた自衛官や山形地方連絡部の大泉栄、花山直志事務官らに対し、国の補償は、世間の自動車事故等の補償に比較して、少額すぎるから、補償金を増額するか、年金を支給して欲しい旨懇請したところ、右自衛官、事務官らは、法律を改正する以外に方法はない旨を回答した。控訴入らは右記事や回答から、国から支給された補償金以外に、国に対しては損害賠償を請求し得ないものと信じたものであり、昭和四四年七月訴外田中義信に出した書面に対する返事により初めて国に対して損害賠償の請求ができることを知つたのであるから、消滅時効の期間は同月から起算すべきであるし、仮にそうでないとしても、被控訴入が消滅時効を援用することは権利の濫用である。仮に権利濫用の抗弁も理由がないとしても、前記自衛官、事務官ら、ことに前記花山、大泉事務官らは職務上遺族を援護すべき義務があり、従つて、被控訴人に損害賠償責任のあることを控訴人らに告知すべき義務があるのに、これを告知しないで、前記のような記事を書き、回答をして、故意または過失により控訴人らに国に対して損害賠償の請求はできないものと誤信させて損害賠償の請求を怠らせ、該請求権を喪失させたのであるから、被控訴人はこれにより控訴人らが被つた損害を賠償すべき責任がある。

仮に以上の控訴人らの主張がすべて理由がないとしても。被控訴人は自衛隊員の使用主として、隊員が服務するについてその生命に危険が生じないように注意し、人的物的環境を整備すべき義務を負担しているものであるが、本件事故発生現場である整備工場内は車両、器材類が沢山置かれており、混雑していた上、騒音が激しかつたのであるから、被控訴人は、危険防止のため、車両運転者には安全教育を徹底させ、車両を後進させる場合には誘導員を配置する等、隊員の安全管理に万全を期すべきところ、右義務を怠り、本件事故を発生させたのであるから、これに基く損害を賠償すべき責任がある」

被控訴代理人は次のように述べた。

「控訴人ら主張の事実中その主張の記事、回答に関する事実(回答は大泉事務官についてのみ)は認めるが、記事は追悼式における食事代、これに出席するための旅費等の支弁方法に関するものであり、回答は酒席で雑談的にされたものであり、いずれも損害賠償請求権に関するものではない」

<証拠省略>

理由

当裁判所も、控訴人らの請求は理由がないと認めるものであり、その理由は、次に附加するほかは、原判決のそれと同一であるから、これを引用する(但し、原判決八枚目裏一〇行目「弁論の全趣旨によると」を削り、九枚目表一行目に「という意味にすぎないのであり」とあるのを「時期にすぎないのであるから、控訴人らがそれまでのその主張のような事情から損害賠償を請求できることを知らなかつたとしても」と訂正し、五行目「成立」の前に「控訴人ら主張の記事、回答に関する事実(回答は大泉事務官についてのみ)は当事者間に争なく、」を、六行目「二八号証、」の次に「当審証人鎌沢致良、橋田龍平、和地亨、金田よし子、花山直志、大泉栄の各証言、原審および当審における」を加える)。

次に、控訴人らは、自衛官、事務官らが故意また過失により控訴人らの損害賠償請求権を消滅させた旨主張し、控訴人ら主張の記事および回答に関する事実(回答は大泉事務官についてのみ)は当事者間に争がないけれども、控訴人ら主張の告知義務の存在を認めることは困難であり、当時関係自衛官、事務官らが、本件事故について補償法に基く補償以外に損害賠償責任が被控訴人にあることを明確に認識していたことを認めるに足る証拠はなく、また、法律専門家でない関係自衛官、事務官らにこれを期待することも無理と解されるから、右記事、回答に関する事実はまだ右故意、過失の存在を認めさせるに足らず(懇親会における関係自衛官らと控訴人らとの間の話題は補償法に基く補償の増額につきていたのであるから、関係自衛官らが別途に損害賠償請求の可能性に想到、言及しなかつたからといつて、時効期間徒過につき故意または過失ありとするのは酷にすぎる)、他にこれを認めるに足る証拠はないから、控訴人らの右主張も理由がない。

次に、控訴人らは、被控訴人は安全保障義務不履行による損害賠償義務を負担している旨主張するけれども、勝喜は、通常の雇傭関係ではなく、特別権力関係に基いて被控訴人のため服務していたのであるから、被控訴人は本件事故について補償法に基く補償(それが十分であるか否かはしばらくおき)以外に債務不履行に基く損害賠償義務を負担しないものと解するのが相当であり、控訴人らの右主張も理由がないといわざるを得ない。よつて、原判決は相当であるから、民事訴訟法第三八四条、第八九条、第九三条に従い、主文のように判決する。

(裁判官 近藤完爾 田嶋重徳 吉江清景)

〔参考〕第一審判決

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

〔中略〕

第四抗弁に対する答弁および再抗弁

〔中略〕

二 再抗弁

被告の時効援用は、次の理由により、権利の濫用である。

1 被告は、昭和四〇年七月末日頃、請求原因第三項の3記載の補償金をあたかも原告らの蒙つた全損害の賠償であるかの如く装つて交付し、さらに、昭和四二年一〇月二七日訴外勝喜の追悼式の際、自衛隊員の交通事故死に対する賠償が世間一般より少なく法律で定められているのはどうしてかと原告らが尋ねたのに対し、何の解答も与えず、また昭和四三年二月一日遺族会実態調査票に法律で定められた損害額が少なすぎる旨記載して提出したものに対しても全く答えないといつた巧妙な言動によつて、原告らをして、自衛隊員の公務死の場合は、損害賠償請求権がないものと誤信させ、かつ、損害賠償請求をなすことを思いとどまらせた。

2 不法行為による損害賠償請求権が三年の短期消滅時効と定められているのは、第一に、あまり時がたつと不法行為の証明が困難になること、第二には、時がたてば被害者の感情が静まるという考慮が働いてからである。

ところで、本件の場合は、加害者は国であり、その調査能力を駆使して証拠を収集し、現にこれを保管しているのであるから、第一の証明困難という問題は存しない。また、被害感情の問題も、原告らが損害賠償請求をしたかつた事情が前述のようなものである以上、時の経過によつて感情が強まるこそすれ、静まることはない。

3 民法一条三項が権利の濫用を許さない旨規定している趣旨は、権利は権利者の利益保護のために認められるものであると同時に、社会全体の向上発展のために認められるものであつて、権利者の利益と社会全体の利益との調和において行われたければならないということにほかならない。したがつて、権利行使による権利者の利益に比し相手方の損害が著しい場合は、権利の濫用であるといわなければならない。

しかるに、原告らの損害賠償額は国家予算における九牛の一毛にすぎないのに対し、働き盛りの訴外勝喜を失つて老令と病弱に悩まされ明日の生活にもこと欠く原告らが本件損害賠償請求権を失うときの損害はあまりにも大きすぎる。

4 国は国民の権利を守るために存在するのであつて、自ら国民の権利を侵害し、その回復を図らずに放置しておきながら、原告らが侵害された権利の回復を訴求するや、時効を援用するなどということは、自己矛盾であり、正当な利益を欠く権利行使といわなければならない。

〔中略〕

理由

一 事故の発生<省略>

二 責任原因<省略>

三 そこで次に被告の時効の抗弁について判断する。

本件事故の発生が昭和四〇年七月一三日であることおよび同日訴外工藤勝喜が死亡したことは当事者間に争いがなく、原告かな本人尋問の結果から、事故で右勝喜が死亡したことを知らされた原告らは翌一四日朝、長男および四男と八戸の自衛隊駐屯地に赴いて、勝喜の上官から事情を聞かされたこと、およびその三日後位に自衛隊から国家公務員災害補償金七六万円の支給があつたことが認められ、また本訴提起が昭和四四年一〇月六日であることは記録上明らかである。

そうすると、原告らは昭和四〇年七月一四日には損害の発生および加害者を知つたものと言うべきであり、民法七二四条により、三年の経過をもつて本件事故による損害賠償請求権は時効により消滅したものと言わなければならない。

原告らは損害を知つたのは昭和四四年七月頃である旨主張するが、弁論の全趣旨によるとこの時期は原告らが被告国に対し前記補償金のほかになお損害賠償を請求しうるという法律解釈を知つたという意味にすぎないのであり、前記日時に損害を知らなかつたことにはならない。

四 原告らは被告において右時効の援用をするのは権利の濫用である旨主張するので、この点を判断する。

<証拠省略>によると、原告ら主張の前記第四、二1の事実は被告の主観的意図の点を除きこれを認めることができる。右主観的意図はこれを認めうる証拠はない。

而して、右証拠によれば、当時自衛隊において災害補償事務を取り扱う係官は、自衛隊内の事故については、所定の補償金以外には国に対する損害賠償の請求は出来ないとの考えであり、事故死した自衛隊員の遺族をもつて組織する遺族会においても、会員たる遺族に対し、国に対する損害賠償の請求を別途になすように指導することは行なわず、専ら国家公務員災害補償法による補償金、退職手当、遣族年金などを引き上げるための運動を行なつていたことが認められる。

以上の次第であつて、本件の場合、原告らが被告に対し損害賠償請求をしなかつたのは、権利行使の意思がなかつたわけではなく、法の不知により一般の交通事故と同様に損害賠償請求をなしうるものとは思い致らなかつたためであることは推察に難くないが、さりとて、特に被告の方で原告らを故意に歎罔して損害賠償請求をあきらめさせたというような事情が認められない本件においては、被告の時効の抗弁の援用をもつて権利の濫用とまでは言いがたく、したがつて原告らの再抗弁は理由がない。

五 よつて爾余の点について判断をするまでもなく、原告らの本訴請求は理由がないので棄却をまぬがれない。そこで訴訟費用の負担について民訴法八九条、九三条にしたがい、注文のとおり判決する。

(裁判官 坂井芳雄 小長光馨一 佐々木一彦)

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